科学と疑似科学を分け見極める材料としての「反証可能性」について

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みなさん,こんにちは.
シンノユウキ(shinno1993)です.

科学と疑似科学とを分ける「線引き問題」(demarcation problem)。これを定めようとする試みは,科学哲学の世界では盛んに行われてきました。現在では,単純にそれらをスッパリと区分するのではなく,確率論的な考えを導入し,その科学的な度合いでもって判断しようとするのが一般的です。

今回は,「線引き問題」で用いられてきた,カール・ポパーの「反証可能性」を題材とし,疑似科学を考える際の材料の一部を提供したいと思います。

ではいきましょう!

線引き問題とは?

「線引き問題」(demarcation problem)は,「境界設定問題」とも呼ばれ,科学とそうでないものとの間のどこに線を引くかということについての問題です。すなわち,どのような基準が科学と疑似科学を分けるのかについて問題ということになります。

最初に書いておきますが,完全に科学と疑似科学を明確に区別する基準はないという立場を私は取ります。科学哲学を専門とする伊勢田哲治先生は,著書の中で以下のように述べています:

わたしが提案したいのは,「科学と疑似科学は区別できる,しかしそれは線引きという形での区別ではない」という考え方である。第5章で確率論的な「程度」思考の重要性を強調したが,「程度」思考を取り入れるということは,科学と疑似科学の間の区別を線引き問題としてとらえることを止める,ということでもある。

引用)伊勢田哲治. "疑似科学と科学の哲学". 名古屋大学出版会 (2003).

現在までに,科学と疑似科学との間に線を引こうと試みた(もしくはそのように使われた)ものには,以下などがあります:

  • 反証可能性
  • いわゆるパラダイム論
  • リサーチプログラム論
  • ルースの線引き基準

本来であれば,これらを使用しつつ,科学論や統計学的な知識を導入しながら,科学と疑似科学の「度合い」を見極めるべきです。しかし,それはそれらの馴染みのない方にとっては,やや難易度が高いかと思います。そこで,直感的にわかりやすいであろう,「反証可能性」について取り上げ,科学と疑似科学を見極めるための材料の一部を提供したいと思います。

反証可能性とは?

「反証可能性」(falsifiability)はオーストリア出身の哲学者であるカール・ポパーによって提唱された概念です。これは,科学と疑似科学を分ける目的で提唱されたもので,「科学的な命題は,経験によって反証可能でなければならない」ということを主張しています。つまり「反証可能」というのは,間違っていることを証明できるということで,間違っていることを証明することが不可能なものは科学とはいえない,ということです。

反証可能なもの

反証可能なものの例としては,以下があげられます:

  • 明日の天気は晴れである
  • すべてのカラスは黒い

前者は,明日の天気が雨や曇りであれば間違っていると証明できますので反証可能です。後者は黒くないカラス(白いカラスなど)を見つければ良いので,これも反証可能ですね。

反証不可能なもの

反対に,反証不可能なものをあげてみましょう。せっかくなので,この例はポパーの著書から引用したいと思います。ポパーは,フロイトやアドラーの精神分析が「反駁(反証)不可能」であることを,二つの人間行動の例で示しています:

すなわち、子供を溺死させようとして水中へ投げ込む男の行動と、子供を救おうとして自分の生命を犠牲にする男の行動である。この二つの事例のいずれもが、フロイト理論、アドラー理論のいずれをとっても同じくらいに容易に解釈する事ができるのである。フロイトによれば、最初の男は(たとえばエディプスコンプレックスの一部を構成している)抑圧に苦しんでいるのであり、第二の男はその昇華に成功していることになる。アドラーによれば、最初の男は劣等感に支配され、そのため犯罪さえもあえて犯しうることを自ら証明する必要に迫られているのであり、第二の男も劣等感は持っているが、彼の必要としているのは、あえて子供を救助できることを自ら証明してみせることでもある、ということになる。

引用)カール・ポパー. "推測と反駁." 藤本隆志, 他訳. 法政大学出版局 (1980).

上で紹介したフロイトやアドラーのように,反証が不可能なものは「疑似科学」がそれであることを特徴づけます。主張自体がそもそも反証不可能な場合,その主張が科学的である度合いは小さくなると考えて良いでしょう。

反証を不可能にする「態度」

上では,反証可能性について紹介しました。科学的とされるものの主張が反証可能かどうかは,それが科学か疑似科学かを見極める際に重要な意味を持ちます。ここでは,反証を不可能にする「態度」について紹介したいと思います。いくら主張自体に反証可能性があったとしても,それを不可能にする態度が疑似科学を特徴づけます。

アドホック仮設

「アドホック仮設」(ad hoc hypothesis)を利用することで,反証を不可能にする態度を取ることがあります。アドホックは「その場しのぎ;この時のために」などの意味があります。アドホック仮設は,反証事例が生じた際にそれを説明するための補助仮設として用いられることが多いものです。

これは,「超能力」に例えるとわかりやすいでしょう。超能力者がその能力を発揮できなかった際,「観客がいるからだ」とか「カメラがあるから力を発揮できなかった」などを言う場合があります。この場合,超能力は「観客やカメラがなければ」という補助的な仮設を付け加えることで反証を免れています。このような仮設を「アドホック仮設」といいます。

もちろん,それらが超能力に何らかの影響を及ぼした可能性は0ではありません。しかしこの場合のように,補助仮設を後付することを無制限に許してしまえば,それは実質的に反証が不可能なことを意味することになります。そのため,このような態度をポパーは非難していました。

もちろん,アドホック仮設を導入する仮設のすべてが非科学的=疑似科学と言いたいわけではありません。今までの科学的発見には,このアドホック仮設がもとになって生まれたものもあります。

なので,後付で仮設を修正するような態度が日常的(常習的)に見られる姑息なものなのか,それとも新しい発見に結びつけようとする科学的に積極的な態度によるものなのかを丁寧に見る必要があります。

「査読制度」を回避する

科学における新しい発見は,「学術論文」という形で世に問われます。その際には「査読」と呼ばれる,その論文の内容に誤りがないか,適切な手法で行われているかを確認するプロセスがあります。それを経て学術論文として公開され,ようやく科学的な議論の題材となるのです(論文化されている=OKではない点に注意(参考))。

にもかかわらず,このような営み無視し,実質反証不可能にしてしまうのは,疑似科学を特徴づける態度だと考えます。査読を避け,査読が不要である雑誌や書籍,Web媒体(本ブログのような)で持論を展開します。学会発表も,事前審査がない場合が多いので絶好の機会となるかもしれません。加えて,査読が不要な学術誌(と呼ばれるもの)もあったりします。

なので,主張の根拠が書籍(特に自著)や,あまり目にしない学術誌(IFがないなど),学会発表しかないのであれば,その主張の信頼性は疑ってみたほうが良いかもしれません。

まとめ

今回は「反証可能性」を材料の一つとし,疑似科学を見極めるためのポイントを解説しました。「反証可能性がない=疑似科学」と単純化することはできませんが,反証を不可能にする態度などを鑑みつつ判断すると,目安の一つとしては良いものだと考えます。

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