みなさん,こんにちは。
シンノユウキ(shinno1993)です。
その人が不健康なのは不摂生が原因である.すなわち自己責任だ,とする論調は特に2型糖尿病などの生活習慣病で根強く存在しています.今回はそれに対する反論を,私なりにまとめてみました.話は紆余曲折し,分かりづらいかもしれませんが,よかったらご覧いただければと思います.
人は生まれながらに平等か?
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
これは福沢諭吉の『学問のすすめ』の有名な一節です【1】https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html.人は生まれながらに平等なのに,現に格差が蔓延しているのは,学ぶ者と学ばない者が存在するからだ,ということを説いています.
なるほど,確かにこの世に生を受けてから,どれだけ学ぶかということによって差が生じる,というのは理解できます.勉強しなければ医者などの難しく高給な仕事はできない,というのは容易に考えられることです.
しかし,「生まれながらにして平等である」という点に関しては,もしかしたら正しくないかもしれません.
生まれた時の両親の年収で将来が決まる?
以下のグラフは東京大学の研究者らによって行われた,両親の年収別の高校卒業後の進路を調査した結果です.
引用)http://ump.p.u-tokyo.ac.jp/crump/resource/crump090731.pdf
両親の収入が高い人ほど4年制大学への進学率が高く,すぐに就職する人の割合が低くなっています.つまり,お金持ちの両親のもとに生まれた人ほど,高等教育を受ける機会に恵まれているということが示されています.貴賤の生じる理由が学ぶかどうかであるのなら,高等教育機関である4年制大学へ進学するかどうかは,その差を生じさせる十分な理由になるでしょう.
もちろん,因果の方向まではわかりません.収入の多い職業に頭の良い人しか就けないということであれば,その頭の良さが子どもに遺伝したということも言えるかもしれませんし,また両親が子どもに学習のしやすい環境を提供したのかもしれない.つまり経済的な側面だけがこの差を示しているとはいえないという事もありえるでしょう.
しかし,このどちらかの理由―もしくは両方―があるにせよ,生まれながらにして平等であるということはありえない,というのがデータから理解できます.人は生まれた時からすでに差がついているのです.
糖尿病になりやすい人となりにくい人
これと同じことは,今回クローズアップする”健康面”についても言えます.
もっともわかりやすい例として,その個人の努力だけではどうすることもできない”生まれた時の体重”について見てみます.以下のグラフは日本人の女性看護師を対象に,出生時体重とその後の糖尿病の発生率を見たグラフです.
このグラフは3000~3499gで生まれた人の糖尿病発症リスクを1とした場合の,その他のグループの糖尿病発生のリスクをオッズ比で示しています.低体重(<2500g)で生まれた人は正常体重(3000-3499g)で生まれた人と比べて2.37倍も糖尿病になりやすい,ということが示されています.
出生時の体重という,本人にはどうすることもできない要因によって糖尿病のなりやすさが変わってしまうのでは平等とは言えないでしょう.もちろん,あくまでリスクの話なので,低体重で生まれた人でも努力すれば糖尿病を予防することは可能です.しかし,正常体重で生まれた人が1の努力で済むところを,低体重で生まれた人は3くらい努力しなければいけない,ということになります.
食べるものへの影響
我が田へ水を引くようですが,次は健康に多大な影響を与えている”食事”に与える影響を見ていきましょう.
先に示したグラフでは,両親の年収が高等教育を受ける機会に影響することを示しました.高等教育を受ける→高度な仕事に就ける→収入が高くなるが成り立つのであれば,出生の段階で将来の収入がある程度は決まってしまうということになります.
そしてその収入と食事との関係は,日本人を対象に実施された調査である程度明らかになっています【2】平成26年「国民健康・栄養調査」の結果. https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000117311.pdf.以下は世帯年収別に1日の野菜摂取量をグラフ化したものです.
このグラフから明らかなように,収入が多い人ほど健康的な食材である野菜を摂取しています.これは,収入が高い→野菜を食べるといった単純な因果関係で片付けられるものではありません.野菜を食べる人は教育レベルが高いからこのようになっているのかもしれませんし,もしかしたら野菜を食べることで仕事の能力が上がるということもあるかもしれません.因果の方向は不明ですが,いずれにせよ生まれながらの不平等が食事にまで影響している可能性が示唆されます.
健康の自己責任論
ここまでの流れだと「人は生まれながらに平等だから病気になるのは自己責任だ」といった話はかなりの暴論であることがおわかりいただけるでしょう.
紛争地域の子どもたちが銃器などによる攻撃から身を護るのが困難であるように,また公衆衛生の整備されていない地域で感染症から身を護るのが困難であるように,この日本であっても,生まれた環境や育った環境によっては,糖尿病などの生活習慣病から身を護るのが困難だったりします.
しかし,「健康の自己責任論」はかなり根強く存在します.
少し古い話だと長谷川豊アナが自業自得の人工透析患者の医療費を全額負担にするよう主張し炎上しました【3】https://www.asagei.com/excerpt/66693.また最近では,麻生氏も不摂生の結果として病気になった患者への医療費支出を疑問視する主張をしています【4】https://this.kiji.is/427316654491599969?c=39546741839462401.
こういった主張に正当性のようなものを与えてしまうのが,人は頑張れば食欲を抑えることができるし,健康的な生活を送ることができるという考え方です.つまり,不摂生は努力によって防ぐことができるという考え方を基に「健康の自己責任論」は唱えられているのです.
しかし,その努力をするためのリソースは,その人の置かれている環境に大きく影響されます.
努力をするためのリソース
努力をするためのリソースは人によって様々です.しかし一般的に,ある程度の階級に位置する人のほうが,それよりも下の階級に位置する人に比べて豊富なリソースを持っています.
『不健康は悪なのか』の中でローレン・バーラント教授は,食事について以下のように述べています【5】https://www.msz.co.jp/book/detail/07894.html:
食事は、消耗した自己にある種の安息をもたらしてくれる。私たちは食事を通してほっと一息つき、善良であり、意識的であり、意図的であることから開放される.
本書では,食事はメンタルヘルスを保つための休暇として捉えられています.食事を取ることによって病気になったり身体的美徳が損なわれたりしますが,それは日常のストレスを発散し,より良く生きるために必要なものだとしています.
人は現代生活に圧倒されている。私たちは生きるために働かなければならないのだが、それだけでなく、働くためには病気でありつづけることも含めて、必要なことは何でもしなければならないのである。
よりよく生きるために,日常のストレスを食欲に没頭する快楽で紛らわせる.その結果として生じる病気はその人生を生きるための奮闘の象徴である,というのが本書の主張です.
つまり,食事がストレス解消の手段として用いられているといえるのです.
しかし,お金をたくさん持っている人は,そのストレスに対抗するための手段をたくさん持っています.肥満になりにくいけれど美味しい食事,食事で得られすぎたエネルギーを効率的に発散するための運動環境.
また,こういった特権階級の人たちは仕事などに対して多くの裁量を持っており,そもそもストレスによって消耗しづらいかもしれませんし,そもそも働く日数がそうでない人たちよりも少ないかもしれない.
このように,その人の置かれた環境などによって,病気に対抗するためのリソースにそもそもの差があります.つまり,ある程度の階級にある人は食べ物以外で日常のストレスを発散できるし,また食べたとしてもそれを解消しやすい環境にある.またそもそもストレスを受けづらいかもしれない人もいれば,食べる以外にストレス発散の方法を見つけづらく,また色々なストレスに暴露されやすい人もいる.
生まれながらに収入面などに差が付きやすい可能性があるのであれば,それは生まれながらに肥満になりやすい環境に置かれることを示唆しています.
まとめ
今回は健康の自己責任論について,私の考えをまとめてみました.生まれながらにしてすでに平等でなく,その結果として病気に抗うためのリソースに差があります.そのことを無視して,リソースの豊富な人とそうでない人を同じ土俵にあげることこそ差別的なのではないでしょうか.今回はこれを結論としたいと思います.
参考文献
↑1 | https://www.aozora.gr.jp/cards/000296/files/47061_29420.html |
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↑2 | 平成26年「国民健康・栄養調査」の結果. https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000117311.pdf |
↑3 | https://www.asagei.com/excerpt/66693 |
↑4 | https://this.kiji.is/427316654491599969?c=39546741839462401 |
↑5 | https://www.msz.co.jp/book/detail/07894.html |